--------------------
助産婦学校養成所紹介(4)—長崎大学附属助産婦学校
山田 マツエ
pp.66-68
発行日 1956年10月1日
Published Date 1956/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201144
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
原爆の洗礼を受けた長崎の街.その北辺に位置する浦上は,壊滅の憂目をみたのであるが,悲惨な当時の名残りをあちこちにとどめながらも,10年の才月を経た今日,新しい都市計画の下に,着々と整備され近代的市街に変貌しつつある.
思い出すも痛ましい,原爆中心地のすぐ近く,朝夕アンゼラスの鐘の音が,静かに聞ゆる高台に,復興中の我が長崎大学医学部及び附属病院が,その偉容を見せている.とは云え,完成には尚数年を要する状態で,今日も又,こわれた建物の除去に整地に建築に,大勢の人が汗を流している.我が国の医学発祥の地に於ける古い医学校として,約1世紀の歴史と誇りを持つ我が医学部及び病院,ここで学び,研究をつみ,社会へ巣立つた医師,助産婦,看護婦の数はおびただしいものである.
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.