ア・ラ・モード
病院の開放
K
pp.33
発行日 1952年1月1日
Published Date 1952/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200013
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助産婦が取扱つていた妊婦に異常が發生した場合,助産婦はこれをしかるべき醫師の手に托す事になるが,このような場合,助産婦と妊産婦との縁が切れてしまうような事が起りがちである。このようなことは助産婦にとつて心理的にも又經濟的にも色々考えさせられる問題をおこす原因となり,時には多少の異常はやってのけようという冐險心を助産婦におこさせる一因ともなる。この問題を打開するため篠田教授は,東北大産婦人科教室の開放(オープン・システム)を考慮中の由である。教授の構想によると異常妊産婦の入院に際し,紹介した係りの助産婦はそのまま附添つて病院に來り,醫師の指導の下にこの助産婦が介助に當るのである。できれば沐浴も行う。こうした場合には妊産婦と助産婦との縁は切れないし,色々利點が考えられる。流石時代の先端をゆく篠田教授の着想と,仙臺在住の助産婦諸姉は喜んでいる。
分娩費の問題など若干尚考究すべき點も殘つているが,日本の現状にふさわしい名案である。
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