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はじめに
2005年以降,日本社会は1億人規模の人口サイズで少子・高齢化時代に突入してきている.人類が営々として築いてきた文明,なかでも長寿文化は70億の地球人が等しく願ってきた理想である.しかし,現在,先進国における長寿社会は例外なく少子・高齢化時代を迎え,やがて深刻な社会問題に悩みはじめる.日欧米のみならず,今経済発展を続けているBRICs(ブラジル,ロシア,インド,中国)もその宿命からは逃れられない.国家としての主導権,経済的富の配分,そして社会的負担の公平化が根本的に問われる.増え続ける国家経費を,減り続ける勤労者でいかに賄うか,相反する事象のバランスを巡って今後とも延々とあり方が論ぜられるであろう.その代表例が障害者対応である.
人類は宿命的に障害者を抱える.そして障害者は守られねばならない.先天的に発症する場合もあれば,成長の過程で発生することもある.さらに,戦争や労災のみならず,日常生活時の外傷や疾病でもうまれてくる.他人事ではない.自分事として捉えねばならない.そして,長寿社会では加齢関連障害が深刻になる.肢体障害のように客観的に理解しやすい場合もあれば,内部障害のように一見“隠れ”状態になっていることもある.否,長寿社会では隠れ内部障害を可視化し,いかに社会的合意を得るかが正面課題であろう.そうでないと既に60%を超えている加齢関連障害者によって社会保障制度の根幹が崩れることになる.重度の障害を克服し,健常者以上の活動を実践するパラリンピック参加者や,ホーキング(物理学者),乙武洋匡(スポーツライター),渡哲也(俳優)などは大いに参考になる.一方,中等度障害であっても生活上不具合を来している人もいる.重複障害者もいる.障害をもったがゆえに,社会発信が滞る人たちへの配慮は,社会の成熟度を示すバロメーターでもある.右肩上がりの人口増加の下に,70%以上の元気な勤労者に守られた高度成長期の日本社会では鷹揚な対応もあり得た.しかし,2030年には60%,2060年には勤労者が人口比50%を割り込み,一方65歳以上の高齢者比率がそれぞれ30%,40%超になることが現実視されている今日である1).負担を担う世代に視点を置いた障害者対策が急務となっている.少なくとも,大いに議論し,しっかり実行し,適切に評価される背景が醸成されている.
しかしながら,わが国の障害者福祉の脆弱さは歴史的に克服されてはいない.主なる骨格は昭和20年代の戦傷病者対策にあるといっても過言ではない.その後,次々とさまざまな障害領域が加味されてきた.内部障害においても骨太の対応がなされてきたわけではない.心臓機能障害や腎臓障害を軸に,呼吸器,膀胱・直腸,小腸,ヒト免疫不全ウイルスによる免疫,肝臓障害が追加されてきた.しかも,基本構造は外部障害である肢体障害に順じて運用されている.一級,二級,三級,四級の障害程度等級区分においてもそれぞれの領域で微妙に対応が分かれる.これでは喫緊の課題,“少子・高齢化社会において,増え続ける社会負担を減り続ける勤労者でいかに賄っていくのか?”,との問いに全うな回答ができないのは必定である.
さらに問題を難しくしているのは,ナショナルデータベース(data base;DB)の不在である.確かに,個々の数字は存在している.しかし,個々の障害者がどのようにハンディを克服して社会的参画を果たしているのか,福祉・医療・保健システムによる包括的サポートとの整合性はうまくとれているのか,などが皆目わからない.貴重なデータがバラバラで連結不能となっており,活用・検証できないのが現状である.そのために,有効なサポートが受けられない人もいれば,一方では過剰なサポートと揶揄されることも起きている.このように,障害者を応援するシステムの実情が掴めないままに何とか運営されてきたのがわが国の実情である.なぜ,少子・高齢化に備えて粛々とビッグナショナルDBを構築してこなかったのか? これからの社会負担を現実に賄うとする次世代・次々世代が理解に苦しむ所以でもある.
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