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編集後記
高橋 正明
pp.912
発行日 2002年11月15日
Published Date 2002/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551106168
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敬老の日,もうすぐ90歳を迎える父親のご機嫌伺いに静岡の片田舎を訪れた.近くに居を構える姉たちが何かと面倒を見ているが,春に連合いを亡くし,今は一人で生活をしている.雨が降らなければ早朝に約1時間の散歩をする.どんなものかと一度ついてまわった.海岸で拾った手頃な流木をつきながら,前を向いて歩いているときは異常と思えるほど規則正しいテンポでとにかく早い.しかし景色に見とれるとツツッとつまずいたり,ふらっとよろける.まだ立ち直れるが,他人が不安を感じるには十分である.こんな父だが,風邪を引きやすく,油断をすると痛風が出る.もともと血小板が少ないにもかかわらず,この8月に電池切れでペースメーカーの取り替えをした.やっと出血がおさまったようだが,とにかく病院にかかることは多い.この父が,これまでは1か月約3000円の外来負担限度額が10月から完全に定率1割負担となる医療改正に強い不安を感じていた.寿命をまっとうするまでの医療費や生活費の蓄えは十分にあるはずなのに,なんで不安なのかと疑問に思い,話を聞くと,自分の子供や孫達の将来の生活に対する不安,今後の日本がどうなるかの不安なのである.よく考えると,超高齢まで生きている人の自己中心的な俗っぽい不安というものを見たことがない.しかし,わが国の将来や,今であれば経済,金融に対してはわがことのように心配するのである.歴史を生きた超高齢者の不安を取り除けないようだと日本の景気は上向かないように思う.
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