Ex Laboratorio Clinico・48
M-蛋白のみを持った重症複合免疫不全症
河合 忠
1
1自治医科大学・臨床病理
pp.1656-1660
発行日 1980年12月15日
Published Date 1980/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542915677
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原発性免疫不全症と私とのかかわり
私がアメリカから帰国したのが1962年12月29日で,郷里の札幌に着いたのが大晦日であった.翌1963年2月20日から中央鉄道病院に勤務し始め,最初に検討し始めたのが血清蛋白分画であった.当時,まだ行われていたTiselius電気泳動法から濾紙電気泳動法に切り換え,多数の症例をスクリーニングすることであった.臨床医の協力を得るために血清蛋白分画の依頼のあった症例について,すべて各分画の数値だけでなく,私自身の医学的コメントを書き添えた.その結果,随分多くの興味ある症例について経験させていただくことができた.その中で,とりわけM-蛋白血症について学ぶことが多くなったので,次に寒天ゲル免疫電気泳動法を日常検査として採用し,M-蛋白の免疫学的型決定まで実施することができるようになった.そうすると,単に中央鉄道病院のみならず,近隣の様々な病院から依頼を受け,症例数も加速度酌に多くなった.その後,1966年には日大駿河台病院に転職し,M-蛋白血症を中心とした「血漿蛋白—その基礎と臨床」(医学書院,1969年のの出版へと結び付いた.
前にも記載したが(臨床検査,21,977,1977),1967年小児科の吉川弓夫医師との出会いからWiskott-Aldrich症候群を検索する機会に恵まれ,それ以後M-蛋白血症に加えて免疫グロブリン欠乏症についても勉強する機会が得られるようになった.
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