特集 多様化時代の病院人事
中小病院苦闘の小史—医療法人啓信会における医師人事
中野 進
1,2
,
中野 昌彦
1,2
1医療法人啓信会
2京都四条病院
pp.748-750
発行日 1994年8月1日
Published Date 1994/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901299
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
戦争後,食うや食わずの時代は,まともに医療のことなど考えられる状態ではなかった.それでも病気は存在した.もっとも現今とは異なり,貧困さが基盤にあるものが多かった.栄養失調,発疹チフスなどの層染症,貧血等々.だが,その王者はやはり結核であった.しかし,社会の安定,経済の復興,さらに抗結核薬の発明により,結核は1950年代に入るとその王座を奪われ,結核療養所は陰りをみせ,空床が目立ちはじめた.精神科疾患が向精神薬の発明もあり,社会からの隔離により治療へと転じ,次第に日の当たる場所となり,病床は結核にとって変わるようになった.この転換が,一段落したとき,経済成長がはじまり併行して自動車の増加,そして交通事故の激増へとつながる.このことは外科系救急病院の叢生期を暗示した.消化器外科医であった私はこれらの社会的背景のもとで,外傷の診療に興味を持ちはじめ,その途へと進んだ.その頃に生まれたのが京都四条病院であった(後述).
10年たち,交通事故の増加は一段落し,内科系救急や時間外診療が社会的関心を呼びはじめた.狂乱物価,オイルショック,経済低成長を経験し,高齢化時代への突入となり,老年医学が浮上してきた.都心部は過疎化し,住民の効外への移行がはじまった.その時期に,私の関心とともに誕生したのが京都きづ川病院である.まもなく,政府の医療費抑制政策がはじまり,この2つの病院も苦難の途を歩みはじめた.
Copyright © 1994, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.