増刊号 日本の病院建築
国公立的病院の建築
結核療養施設の転換3題
伊藤 誠
1
,
関 信男
2
,
西野 範夫
3
,
石本建築事務所
,
浅野 忠信
2
,
石井 寛美
4,5
Makoto ITOH
1
,
Norio NISHINO
3
,
Tadanobu ASANO
2
1千葉大学工学部建築学科
2(株)岡設計仙台支店
3(株)田中・西野設計事務所
4石本建築事務所
5現(株)プラネットU&A
pp.77-83
発行日 1991年11月20日
Published Date 1991/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541901073
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結核療養所から一般病院へ
一時期,“亡国の病”といわれた結核は今や我々の周辺から忘れ去られようとしている.そして,1950年代の中ごろ一般病床を上回っていた結核病床も,1957年を頂点に,以後は廃止もしくは用途変更を迫られ急速にその数を減じてきた.それにもかかわらず病床利用率は低下する一方で,例えば1960年の78.1%が1970年には66.2%,1980年になるとついに55.4%といった状況である.多くの結核療養所は方向転換を余儀なくされ,今や字義どおりの療養所は全国でも30施設ほどを数えるに過ぎない.病床の主流は一般病院にわずかに残されている結核病棟に移った.その大半(約70%)は国立および公的医療機関である.
精神病床や重症心身障害児の病床に振り替えられたものなど,それぞれ新しい分野で相応の役割を担っているものの,施設的に見ると多くは一時しのぎの域を出ないものであった.需要の低下に伴う方向転換にあっては受け身もしくは守りの態勢にならざるを得ず,変身のための豊かな建設費など期待できなかったのも当然であろう.
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