味わいエッセー 出会い
出会いの賜
本多 憲児
1,2
Kenji HONDA
1,2
1医療法人知心会本影記念東北循環器科病院
2財団法人「日米医学医療交流財団」
pp.622
発行日 1989年7月1日
Published Date 1989/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209611
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私は,汽車も通らない阿武隈川沿いの田舎城下町角田町の小学校に入りました.担任は太斉惇先生で,豪放磊落,算術,国語などはちょっとやるだけで,郊外にゆき,絵を描いたり,走り廻ったりすることが大部分でした.太斉先生により「自然を愛し,生物を観察すること」を教えられ,今日の私になったものと思います.先生は現在もお元気で,宮城県石巻市に住んでおられます.ますますの御長寿をお祈りいたします.
次に,私の人生に影響を与えた方は,旧制二高の先輩,故川村氏であります.彼は私に「お前は秀才コースを通って来たが,そのまま行けば社会に出てから役にたたない人間になる.一度落第してみろ」と厳しく言われました.母校(旧制仙台一中)の名誉にかけても落第する決心がつかず,旧制二高3年1学期にやっとビリになりましたが,この時の学友の嘲笑・侮蔑のほか,自己嫌悪感等精神的辛さに耐えなければなりませんでした.心を入れかえ,2学期には猛勉しトップになりましたが,トップになることの簡単さと,ビリになることの難しさをしみじみと肌に感じました.「学校の成績が悪くとも人間は必ず何か良いものを持っている」という信念を得ました.
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