人
"風格"ある名古屋の江戸っ子社会保険中京病院院長 太田 裕祥氏
八坂 孝
1
1社会保険中京病院
pp.384
発行日 1988年5月1日
Published Date 1988/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541209286
- 有料閲覧
- 文献概要
先生は,大正4年,東京・日本橋で生まれた.洋傘商いのおじいさん,綿糸取引のおやじさんとうかがえば,先生の気風を察するのはたやすい.先生には,恩師・田村春吉氏がいる.当時,愛知医科大学(現・名大)皮膚泌尿器科教授の氏を,やんちゃ盛りにかかったカリエスが縁で存じあげ,氏の薫陶を受けることがなかったら,現在の自分はなかったと,先生はおっしゃる.憚らずに申しあげれば,先生は,"風格ある市井の人"である.歯に衣着せぬ舌鋒,礼儀知らずをもっとも嫌い,生返事には打擲も辞さない.直言断行は,いわば表のアイデンティティであり,その裏には,側隠の情を忍ばせ,眼光紙背の配慮があり,故に情愛が厚い.
昭和22年,名大講師の先生は,当時,名大教授を兼ねる斎藤眞病院長のきつい要請で,開設時の現病院に赴任された.同33年,膀胱腫瘍の手術を受けたが,その頃,中京病院に勤務する気持を固められ,専ら攻めの戦略で病院発展に尽くされた.特筆すべきは,全国に先駆け人工透析センターを開設し,逸早く腎移植に取り組まれたことである.全国唯一の熱傷センターを新設されたことも,ここに加えなければならない.
Copyright © 1988, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.