病院管理の工夫
京都南病院の健康手帳による健康管理
古川 節男
1
1京都南病院健康管理部
pp.794-795
発行日 1982年9月1日
Published Date 1982/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207833
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病院の概要と住民の会
京都市には北に堀川病院,南に京都南病院という二つの中規模の総合病院がある.前者の現竹沢院長は,ある時期両方の院長を兼ねていたし,後者の笹井前院長はかなりの期間両病院内科医局の指導のため,毎週南から北に往復していた.いわば両病院は兄弟の関係にある.また,両病院とも,それぞれの地域住民の要望によって成長してきたという共通の伝統が今に続いている,そして,共に30年の歴史を綴ってきた.ただし,両地域の人びとの生活条件等の相異に従って,双方の歩みは全く同じではない.堀川病院の西陣拠点に対し,南病院のほうは,京の台所である中央市場を含む西七条界隈の下町に腰を下した.そこには,全日自労支部もあり,今でも自労の人びとの生活と労働に即して診療と健康管理を中心に幅広い活動を実施,更には工場労働者とも一定の関係をもつなど,西陣の京の伝統とは違った多面的医療活動を展開してきた.
南病院とその母体である住民の会「南健康会」は一体のものとして発足した.創立当初,役員さん自ら待合室や廊下の掃除や洗いものに追われていたが,初期活動目標の第一は「かかりやすく,安くて良い医療」であった.このことは当時の日本,とりわけ当地域での人々の共通の願いであった。経済が医療をはげしく圧迫していた時代であった.やがて,第1目標がほぼ達成される日が来ると,旅行会,親睦会があたかも会のメインエベントのごとき時期もあったかもしれない.
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