人
変貌する国療のリーダー国立療養所所長連盟会長 久保義信氏
松山 智治
1
1国立療養所松戸病院
pp.280
発行日 1979年4月1日
Published Date 1979/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206824
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結核一辺倒を脱し,様々な慢性疾患の医療を担当するようになった国立療養所(以後国療)のリーダー(国療所長連盟会長)である.温厚な人柄に加えて洗練された言動は,つとに定評のあるところで,国療のみならず厚生省の関係者からも,厚い信頼を得ている.「医療の中にも国でなければできないものがあり,それができるのが国療である」,「全国ネットワークを有し強固な連帯感で結ばれている国療に新幹線を!」の信念のもとに,多方面にわたっての活躍ぶりは枚挙にいとまがない.
ニューギニア戦線で戦火をくぐり,復員後,慶応医学部整形外科教室に入局.脊髄損傷の研究に取組み,昭和25年国立村山療養所整形外科医長として赴任,爾来20年臨床に研究に数々の業績をあげられ,昭和45年,乞われるままに現在の国療箱根病院院長に就任された.院長就任後は,厚生省リハビリテーション研究会会長,人事院福祉施策専門家会議委員等の職を兼ね,福祉医療の推進に大きく貢献する一方では,厚生大臣の諮問機関である国立病院,療養所問題懇談会の委員として,国立医療機関の将来設計に情熱を傾けている.
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