人
第4回日本病院会学会会長に就任された南大阪病院院長 内藤 景岳氏
吉岡 観八
1
1新千里病院
pp.16
発行日 1978年1月1日
Published Date 1978/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206410
- 有料閲覧
- 文献概要
明晰・細心・緻密・果断,全身これ燃える火の玉といった医界では異色の闘士,硬骨漢.住吉神社にお祀りしてある神宮皇后が昔朝鮮征伐に船出した縁りの住之江に近く,昭和26年逸早く病院を開設し,これを基盤に持前の闘魂でみるみるうちに大阪で押しも押されもせぬ700床の大綜合病院を築き上げ,地域社会の医療福祉に貢献してきた業績は天下に高く評価されている.殊に,スタッフには大学の教授を始め専門医を迎え医学教育を中心とした近代的重装備を駆使しての高度医療を展開し,その業績を毎年発表されている.
氏は毎朝7時出勤,8時朝礼で所信を訓示していられるとか.この大世帯に労組もできず運営しうるのは,オールマイティとしての氏の厳しい愛情と細心の配慮を基調にした超近代的大家族主義の経営によるものであろう.ある時,廊下を歩いているナースをみていきなり怒鳴りつけた.「走れ!」そのナースは何の抵抗もなく素直に駈足で行動するのをみたことがある.一刻も無駄をせず,職員が安んじて喜働できる院長への信望の現れとみた.また共にある理事会の役員だった頃,愚にもつかぬ(?)討論が長々と続いていると,氏は理路整然と一気呵成に結論をまとめ会長に議事運営を進言し,居眠りをしている私は心中快哉を叫んだことがある.
Copyright © 1978, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.