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医療社会化への闘志を燃やす医療生協・中野総合病院長 藤森 岳夫氏
黒川 泰一
1
1東京医療生活協同組合
pp.20
発行日 1975年11月1日
Published Date 1975/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205742
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医療生協・中野総合病院は昭和7年新渡戸稲造,賀川豊彦両先覚により創立された.『医療組合は病人だけの運動ではない.健康者の寿命を長くするための運動である.病弱者とともに健康者も加盟して,一国の死亡率を引下げ,民族の寿命を延長する運動である』(賀川豊彦)というのが創立の根本精神である.しかし,病院は戦時中「医療団」に徴用された.終戦後返還された病院の経営は,その傷跡深く壊滅の危機をつづけた.『由緒深い生協病院の灯を消すな!』と全国の農協・生協より救援の火の手があがった.再建運動の選手として推され,自らも進んで咋年1月院長として着任したのが藤森岳夫博士である.彼はその就任の日,『医療とは医療技術者と患者とが,同じ仲間意識を持って,同じ目標に協力することだ.病気という不幸に陥った人を,仲間として,友人として扶け合って行くのが医療であって,そのために医師も看護婦もパラメディカルスタッフも,そして事務の人々も存在の意義があるのだ』と宣言した.
彼は昭和19年東大医学部卒,労働科学研究所,保健所を経て,28年東京医科歯科大助教授(16年間),44年長野県厚生農協連佐久総合病院内科医長.大正8年生まれ,55歳の働き盛り.経歴が示す通り医療社会化への闘志を燃やし,創立の精神はそのまま彼の信念でもあった.
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