グラフ 新設医大病院シリーズ・4
日独文化交流の歴史を礎に立つ近代的な大学病院—獨協医科大学病院
pp.13-19
発行日 1975年9月1日
Published Date 1975/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205698
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わが国の近代化の発端となった明治文化が,ドイツの学術文化の吸収によって培われたことは周知のことである.明治14年,北白川宮を総裁に仰ぎ,西周(哲学者,帝国学士院長,初代学長),品川弥二郎(駐独特命全権公使,内務大臣,初代警視総監),青木周蔵(駐独公使,大使,外務大臣,枢密顧問官),桂太郎(二代校長,内閣総理大臣,陸軍大将)らが中心となって,獨逸学協会が設立された.ドイツ文化の移植によって日本文化の興隆に寄与しようというものであった.それから2年後の明治16年獨逸学協会学校が設定された."獨協"はこの獨逸学協会学校の略称で,以来90年の歴史をもつ,したがって,獨協医大の歴史的地盤は古い.
明治26年に発足した獨逸学協会学校中学は,ドイツ語を必修とする日本最初の中学で,徹底した英才教育で知られていた.この中学の卒業生からは官界,財界,医学界などに名士を輩出したが,中でも医学の分野では,わが国医学界の中核となった医学者(佐々木隆興,呉建,坂口康蔵,高木憲次,高橋明,太田正雄,田村憲造,内村祐之,鈴木遂ら)や医師を数多く輩出しており,その影響は現在に至るも,極めて大きいという.
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