病院長プロフイル・20
原爆に屈せず蜂谷道彦氏(広島逓信病院長)
pp.62
発行日 1955年4月1日
Published Date 1955/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200947
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「私は遇を厚くされればされるほど情なくなつた,自責の念にかりたてられた。責任を感じて立つても坐つてもいたたまらなくなつた。心ばかりあせつてどうすることもできない。怪我をしていなかつたら,脚の疵がなかつたら,私はそんなことばかり考えだした。脚の疵を恨んだ。私は行つてみたい,起きて世話がしたい,誰一人怪我をしていない者はない,怪我人ばかりだ。皆,それを押して働いているのだ。」これは,かつて蜂谷先生が逓信医学誌上に公表された原爆体験記(20.8.7の日記)の一節である。
あれから10年,蜂谷先生の兵隊服は背広にかわつたが,先生のお顔の創痕はそのままである。そして,先生が院長に就任された当時の病院は,わずかに500坪,30床,それも原爆によつて全市廃墟の真唯中にぽつんと残された半壊の建物を本拠に,重傷の床から雄々しく起ち上つた先生を支柱に,関係者の不撓不屈,粒々辛苦が実つて,今では1,400坪,100床と市内でも指折りの病院に再興したが,院長室は相も変らずお粗末である。昨年から漸く全館暖房が完成して,「患者はよろこぶ,火事の心配がなくなる。燃料費がたすかる。有難いですよ。」と,まるで自分のことのようにご満悦である。しかし,先生だつて人間,立派な院長室におさまつて悪い気持がする筈はない。ところが先生は,暖房を院長室より後廻しには,どうしてもできない,真底からそう思い,そしてそのとおり実行されたのである。
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