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病院史概説(12)
岩佐 潔
1
1厚生省病院管理研修所
pp.59-62
発行日 1955年3月1日
Published Date 1955/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200937
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VIII.サラセン帝国の病院
1)アラビアの病院
スペインにおいてモアー人の病院が古くから存在していたことや,中世医学がアラビア医学の影響を受けてルネツサンス時代に生気を取戻したことを既に述べたので,我々はここで再び中世に溯つてサラセン帝国の病院を眺めてみよう。マホメツトがメツカ市からメデイナに逃亡したのは622年で,その後まもなく彼は宗教と武力で全アラビア半島を統一し彼の死後,その後継者はカリフと称しコーランと剣を手にして征服の軍を進め東はペルシアから,インドに及び西はアフリカ北部を大西洋に達しマホメツトの死後100年にして大陸にまたがる大帝国となり,中世期界に於てキリスト教世界に対する一大勢力となつた。
この帝国はギリシア医学の伝統とエヂプト,シリア,メソポタミア,ペルシア,更にインドに及ぶ古代東方要素を受け継ぐ地理上の好条件をそなえていた。特に428年コンスタンチノープルの司教となつたネストリウス(Nestorius)はメソポタミアのエデサ(Edessa)の地をその支配下に治めていたが,そこに在つた2つの病院とその附属学校を拡大して優れた教育施設とした。所が彼とその仲間ネストリアン派の人々は正統派の司教Cyrusによつて489年註1)に異端者として追放されペルシアにのがれ,その結果ペルシアの南西Jundi-Shapur (Gondisapor, Sah-Abad)に医学校を創設していた。
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