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病院史概説(6)
岩佐 潔
pp.46-49
発行日 1954年9月1日
Published Date 1954/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200864
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VI.中世におけるキリスト教病院
(1)カトリツク教の勝利と十字軍の発生
フランクの最初の王クロヴイスが5世紀に異教よりローマン・カトリツクに改宗しその後チヤールス大帝もキリスト教を拡めることに努力しその結果ローマ教皇の勢力も著しく拡大されたことについては先に触れた。キリスト教は中世の全ヨーロツパを支配したのであり,その後の歴史の全般に関係がある。特に中世病院の歴史はキリスト教病院の歴史と言つても過言でない。そこでキリスト教の発展について今すこし述べることにする。
ローマ時代には教会はその政治的統一と相俟つて順調な伸展をみせたのであるが帝国の東西分裂によつて教会も同じ運命に逢着しコンスタンチノープルとローマの二つは全く相別れてしまつた。前者も長くその勢力は保たれたけれども東ローマ皇帝の下に立つたが純粋な宗教的勢力を伸し得なかつた。これに対し西方には有力な君主がなかつたのでローマ教会の権威は重く,その管長は法王と称し西ヨーロツパ全土の教会を統卒した。従るに民族大移動によつて興つた国々は異教かしからざればアリウスの邪説を奉じていた。これはローマ教会によつて異端と宣告されその布教を禁じられていたものである。しかるにカトリツク教が優秀なローマ人の文化と結合していた関係でゲルマン諸国の間にその勢力を復興した結果は前述フランクの改宗として現れたのであつて,英国に侵入したアングロ・サクソンもその後カトリツクに改宗することになる。
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