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病院史概説(5)
岩佐 潔
1
1研修所
pp.47-50
発行日 1954年6月1日
Published Date 1954/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200824
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V.中世初期の病院
(1)ビザンチン帝国と病院
前述の如く330年コンスタンチヌス帝が都をビザンチウムに遷しコンスタンチノープルと改称して以来その都は古きローマと相対して東方の中心地となつていたが,395年東西ローマが分裂し,476年には西ローマ帝国が滅亡するに及んで,ローマ帝国の伝統をつぐものはビザンチン帝国と言うことになつた。この国も分立以来久しく内憂外患に苦んでいたが前述大法典を編纂したユスチニアス帝が立つに及んでその黄金時代を現出した。これ以前にコンスタンチノーブル及びその附近に初期キリスト教病院が創設されていたことは既述の通りであるがこの皇帝が病院や孤兒院や養老院等色々な施設の名称を定めその区別を明にしたがコンスタンチノープルにある肢体不自由者のための病院を修復した。その他この都市にはいくつかの病院が出来ていた。それはFlorentcus ,Dexicrat-es, Eubulus, Etienneと言つた人々が創つたものであつた。
キリスト教には元来僧俗の区別がなかつたが国家権力と結びついて勢力を拡げ教会組織が整備されるのにつれて専門の僧侶が発生しその内に司教,大司教,総大司教等の階級が現われた。
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