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看護制度をくずす者
津田 順吉
pp.45-46
発行日 1952年4月1日
Published Date 1952/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200475
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順吉は開業醫のなりたてである。長年の病院勤めの間に縣指定の舊制看護婦養成所をやり,最後には甲種養成所も作り一とかどの指導者と自認していて,よく婦長や教務主任の惱みを輕くいなして得々としていた。各生徒の個性の差から來る不和合,若い主任と生徒の間の指導に關するいざこざ,そのわづらはしさ,難しさをよく聞かされて,その都度「誠意さえあれば若い生徒はどうにもなりましよう。そんなつまらぬことで,惱んだり苦しんだりする事は愚だ。よろしくやりなさい。なんなら私がやりましようか。そもそもナイチンゲールは」などと逆に婦長や教務主任をやつつけて,その惱みを問題としていなかつた。
順吉が開業すると,來て呉れた看護婦はこの8月に最後の舊制の看護婦試驗を通つた。しかし實地を何んにも見ていない本ばかりで勉強をしていた娘さんであつた。世話をしてくれた醫師會の事務長もその娘さんの頭のよさを褒めていたし,ついて來られたお母さんもやさしい立派な方であつた。しかしそちこちの事務所に半月位しか勤め得なかつたと云う事が氣がかりであつたが一しよにやることにした。
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