とびら
雑念
田原 澄彦
1
1中伊豆リハビリテーションセンター
pp.454-455
発行日 1974年8月15日
Published Date 1974/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518100867
- 有料閲覧
- 文献概要
山村のあるリハビリテーション病院に勤めるようになって8年になる.8年といえばそう短い年月ではない.この間PTとして自分は何をやってきたのだろうか,とこの頃考える.リハビリテーションて一体何だろうか,と時々思う.立派な施設と高価な器具,そして何やらスマートな恰好をした人々,そして耳なれないカタカナの看板,まずはこれらの条件が必要なようだ.診療部門では医者はもとよりPT・OTが第一線に立つものとしてもてはやされ,スポイルされる.情報システムはあくまで外国の模放の域を脱しえないシステムの為のシステムであることが多い.農協の婦人部がおそろいの上ぱりを着て貸切バスでやってくる.おきまりのコースで判で押したような説明をききながらハイカラな“おらが病院”に感心して帰る.今までの病院にはなかったような物めずらしい部屋をのぞいて,きっとこう思ったに違いない.“これで中気になっても安心していられる”と.
しかし,一体一般の病院とリハビリテーションの病院とどこが違うのだろう.何が違うのだろう.医者はあくまでも回診着と聴診器のかげで威厳を保っているし,看護婦は常に看護と雑用に追われ,患者への笑顔を忘れ,PT・OTはと言えば,不勉強さは棚に上げ,自然治癒かも知れない回復を手柄のごとく思い,矛盾だらけの現実に目をつぶって唯漫然と訓練を繰り返す.そしてここでも患者は“マスプロ”化された診療のために高いお金と長い時間を費す.それでも疑問と憤怒を感じながら弱い立場の彼らはなかばあきらめの境地で受療を続ける.完全なる強者と弱者の姿である.高い医療費の代償が不親切で不完全な医療だとしたらこんな報われない話があるだろうか.
Copyright © 1974, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.