- 有料閲覧
- 文献概要
1961年Parisの国際耳鼻科学会への途上,私はPado-vaのArslan教授を訪れた。いわゆるsubliminal rotaionの実際を見るためである。その時,初めてultrasonic surgeryをも見学したが,教授はこのMénière氏病の新治療法は大変効果のあることを力説し,私にも行なうようしきりにすすめた。今行なえば日本で初めての例になるから等とさかんにおだて上げられたのを思い出す。しかしなぜか私は気がすすまなかった。治療のためとはいえ内耳を破壊するという治療法にはなにかちゆうちよする点が感じられたからである。翌1962年再びPadovaを訪れたが今度は少し本腰を入れてこの問題を勉強した。メニエル病の治療に苦悩している最中であったからである。旬日滞在し基礎となる生理的病理的の研究を調べまた手術の数例についてともに手を洗って行なつてみた。意外に思ったのは手術がSchwartzeの手術で簡単にすむことであり,また,聴力が犠性にされるどころかかえつて回復する例が多いことであった。私は本法におそまきながら漸く惹きつけられるようになった。Arslan教授とBonnにとび西ドイツ耳鼻科学会に出席してみると,Ménière病に対するこのultrasonic surgeryが欧州では大変流行して多数の演題があり,Arslan教授もこの講演のため招かれ,米国からもAlt-mann博士が来て好成績を述べていた。さきに記したように当時の私はメニエル病の治療に対して迷つていたせいもあり,この破壊手術も症例によつては必要であろうとの意見に次第に傾いたのである。
1964年教室の時田君が欧米へ赴く際には特にこの方面をさらに尋ねてくるよう依頼し,同君はPadovaのみならずStockholmにSjöberg教授を,BristolにAngel James博士を訪ね仔細に手術および器具を調べてきてもらつたのである。英国のBristolを訪れたのは当時Angel Jamesの照射器がもつともすぐれていたからである。幸いにもその年,本問題について文部省科学試験研究費を下附され,日本においてもこの手術を開始すべく器械の製作および輸入を行ない,また手術例を重ねたのである。ひと口に外国の真似と片づけられるかもしれないが,初めて新しい地に新しい方法を行なうことは意外に苦労が多く困難が待ちかまえていて,実際に患者に実施するまでには人に知れぬ苦心を要するものであった。それからの貴重な経験を集約したのが本論文である。さり気なく書き流されているが行間に多数の症例における苦心とまた今後の問題点を読みとつて頂けるであろう。誇張した断言は記していないが本手術によつてMénière病の発作から完全に開放される。薬物療法,星状神経節遮断術により一時的に軽決しても再発する患者の苦悩と不安は完全に一掃される点,すぐれた方法である。しかし一方において一側迷路を廃絶させる結果が手術前後の前庭機能にいかに影響するかの問題および時に起こる顔面神経麻痺の問題がある。前者については欧米の学者は精細な観察を怠つてるとしか思えない節を時田君はよく観察し記している。欧文題名をThe vesti-bular function before and after the ultrasonicsurgery of Ménière's diseaseとする所以である。顔面神経麻痺はすべて一過性であつたが,これは今後ぜひさけえなければならぬ問題である。これはtransducerの改良がもつとも肝要と考えられる。故障によつて先端を日本ではりかえた場合に術後麻痺が起こつていることがこれを裏書している。以上の問題点を含むにしても本法はわが国においてさらにとり上げられるべき治療法であろう。長いMénière病に悩む患者が今日もわれわれの臨床を訪れ,めまい発作から逃れる根治的な療法をと希つているのである。
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.