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鼻疾患と視神経炎とに関する報告は古くより見られたがBeerは1817年黒内障が鼻感冒より生ずる事を述べ,1886年Berger及びTyrmannが楔状洞の疾患より視神経炎の来るべき事を指摘し1904年Onodiに依り副鼻腔と眼との間に存する密接な解剖的関係が闡明せられてより特に一般の注目を引くに至り,近来特に鼻性視神経炎として多くの報告を見るに至り,我国に於ても1911年頃より田中文雄,黒須己之吉,小林静雄,野本謙雄氏等の報告を見てより漸く一般の注意を喚起するに至り,1926年増田教授の宿題報告があり以後多数の症例報告を見るに至つている。然して鼻性視神経炎は現在その発生機転に就て副鼻腔炎よりの炎症波及説,アレルギー説及び中毒説とに大別され,又一部に於ては之等の諸種原因の各々に依つて起る別個の鼻性視神経炎が含まれておるであろうと述べられている。然し之等の何れもが現在尚種々の疑問を全く解決しておるわけではない。従つて本症の名称に就ても由野辺氏は一率に鼻性視神経炎とする事は不適当であるとし,急性欝血性視神経炎と称する事が妥当であると述べている。又石原教授に依れば,急性球後視神経炎としている。1952年山本教授は本症に関する主要文献に就て批判し且つ自家血液球後注射の奏効した本症例の数例を報告され,炎症波及説に対する疑問に就て詳説され,副鼻腔に高度の蓄膿症又は悪性腫瘍があつて視神経炎をおこし,手術的に之等の病的変化を除去する事に依つて視力の恢復を見たものを真の鼻性視神経炎とすべきだと思うと述べ,自家血液の球後注射により視力の恢復を見たものに就てはアレルギー説を考えているが鼻のアレルギーか眼のアレルギーか又は他のアレルギー例えば結核アレルギーに依るものか判断に苦しむと述べている。私は最近急激に視力減弱を来し最初眼科より鼻性視神経炎と診断された患者で両側上顎洞及び篩骨蜂窠及び楔状洞の開放を行い,手術的所見に於ても鼻性視神経炎と考えられ,又手術後一時視力稍々軽快したが間もなく再び悪化し同時に眼底所見に結核性網膜静脈周囲炎の症状を呈し,結局視神経蔓縮に陥つた症例を経験したので茲に報告する。
AKAIKE reports a case of tuberculous coroiditis where a diagnosis of optic neuritis of nasal origin was erroneously made. The patient was operated upon paranasal sinuses which resulted in a temporary visionary improvement. However, the true state of the condition tuberculous choroiditis was later revealed and the optic nerve changes were believed to be that of atrophy. The author questions whether or not that in cases where diagnosis of optic neuritis of nasal origin are made are not included those that show mild allergic manifestation that stem from tuberculous disease.
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