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ニューヨーク市に着いて初めての夜はウエストサイドの97丁目にあるHotel Parisに泊つた。さすがに興奮して仲々眠れない。16階の窓から下をのぞいてみると夏のことで8時になつても空はうす明りをとどめているのにビルの谷底は暗くどんよりと沈んでおり角毎に黒人やプエルトリコ人がたむろしている。夜中ともなると聞えて来る喧嘩の声,救急車のサイレン,それが黒くよごれたレンガ造りの街に繰返し鳴り響くのを聞くと一体このニューヨークの何処にじつくり落着いて研究生活をする場所が残つているのだろうかと考えさせられたものだつた。
マウントサイナイ病院は医局の中村宏先生が工年間Residentとして居り,本誌の海外見聞記にもその詳細が紹介された。昭和39年9月から1年間代つて私がReseach Fellowとして採用され,田村教授の御賛同を得て遥々やつて来たが,実のところ具体的なテマーが決つている訳ではなく,DirectorのDr. H. Brendlerも就任して一年そこそこであり,Reseach Fellowを採用するのは初めてのことでもあり当初は受入側としても大いに面くらつた様子だつた。4ヵ月目頃から言葉にもいくらか馴れて来ると共に仕事の方も順調に運ぶ様になつた。しかし最初の3ヵ月は・新しい環境に馴染むために随分苦労した。すべては語学力の貧しさによるのだが,もう一つは食べ物の変化であつた。カフェテリアの食事は栄養は充分だし美味しかったが1週間で飽き1ヵ月目には体重は10ポンドも減少した。これはいけないと食べる様に努力したが仲々回復しない。鳥瞰図の様にこの病院は極めて複雑な建て方になつているので病院を迷わず歩ける様になるだけで1ヵ月はかかつた。
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