扉
子規からまなぶ
大西 丘倫
1
1愛媛大学医学部脳神経外科
pp.347-348
発行日 2002年4月10日
Published Date 2002/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436902191
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伊予松山に赴任してから一年余りの年月が経った.伊予の国は瀬戸内の美しい自然と,温暖な気候風土に恵まれ,特に松山は道後温泉とともに古くからひらけ,今なお城下町文化の香りがいたる所に漂っている.今年は,折しも松山が生んだ文学者,正岡子規の没後100年にあたる.子規は近代日本にふさわしい俳句や短歌の革新を夢み,さらに近代文章語の確立をめざして,その35年という短い生涯を全速力で駆け抜けた.その手法は常に革新的,創造的で,わが国の近代言語文化史への功績はきわめて大きく,その影響は没後100年に至る今日まで強く及んでいる.
子規を知れば知るほどその偉大さがわかるとともに,多くの示唆に富むことを教えてくれる.子規は多くの「号」を持っているがその中に,獺祭書屋主人というのがある(ちなみに子規も号の1つで,これは俳句の時に用いている).獺祭とは,獺が捕らえた魚を祭りに供えるかのように岸に並べる習性を持つことより,詩文を作る際に多くの文献や資料を並べることを言う.子規は自らその性癖を持っていることからこれを号とし,主に俳論に用いた.俳句分類の大業をなし得たのはまさにこの獺祭ぶりが発揮された結果であり,子規が新しい物の見方を体得し,表現方法を錬磨する上で大きな力になったと思われる.新しい発見と技量の向上に,如何に情報の探索・収集・分類整理が重要かを教えてくれる.
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