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毎週のように,脳神経外科に関連する全国規模の学会,研究会,シンポジウムが日本のどこかで開かれている.各地方,各教室あるいは各施設内の研究会,セミナーを含めると,さらに多くなる.それぞれの発表を拝聴してみると,勉強になることも多く,おおいに参加を推奨できる.実際,各会において,会場は多くの参会者でいっぱいである.日進月歩の時代において,他に遅れまいとして勉強し続ける脳神経外科医の熱い心を感じる.少しでも多くの知識を吸収して,日常の診療に役立て,新たな論文を書くための糧にしているのである.このような力が,この日進月歩の時代を造っているのである.しかし一方,同じ演者によるほとんど同じ内容の発表を違ったいくつかの会で聞くこともしばしばである.毎年続けて新しい有意義な仕事を成し遂げることは至難の業であろう.20年前,ドイツのヴィスバーデンで行われた神経放射線学会で,会場でたまたまお会いした佐野圭司先生が,観光に行きたそうにしていた私に「良い発表はかならず論文になります.」と言われたことを思い出す.
ところで,これらの会の運営は,教室あるいは施設内の会を除き,ほとんどすべての会が企業の寄付で成り立っている.小さな研究会では,会費はなくすべてを企業が負担している場合も多い.大きな学会でも,会費の割合は低く,企業からの寄付に頼っている.ホテルを使うため高い会場費,外国から等のたくさんの招待者,豪勢な懇親会等を賄うために,その会の事務局は企業に寄付をお願いする.企業側からすれば,純粋な寄付である場合もあろうが,投資の面も強い.これらは,回り回って医療費を確実に引き上げている.こういう構図こそが,社会における諸悪の根源である.医師のための医師による会である.参加者の会費で会を運営しなければならないことは当然である.公的な場所を会場に選べば良いし,招待者も多くしないようにし,懇親会もできるだけ質素にするべきである.会の運営もその種の企業にまかせずに,自らで行えば,かなり節約できるだろう.おそらく,そうしても運営費は不足するはずであるので,その分は参会費を値上げして,補うしかないであろう,それでも会の運営費が足りなければ,その会がおもしろくないかあるいは必要がないのである.赤字が続くような会は存在価値がないことを示しているのである.寄付をまったく否定しているのではなく,寄付する側と寄付を利用する側との間に第3者を入れ,関係を完全に断つことが必要である.寄付の配分を第3者が決めることで,寄付する側との関係をなくすることができる.
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