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脳神経外科医として41年間を過ごし,昨年春に定年を迎えた.この間,最初の20年間は手術と研究を中心とする純粋な脳神経外科医として活動し,日々の手術結果に一喜一憂していた.すなわち,正確な解剖学的知識を基に病変を処理し,新しい脳や脊髄の状態を作り上げ,機能の再生を図るのに全力を尽くしていた.当時の記録を見直してみると,クリニカルフェローとして渡米していた2年6カ月は,脳腫瘍の摘出術,癌転移による脊髄圧迫に対する椎弓切除術,椎間板ヘルニア摘出術など,脳神経外科医として基本的な手術をスタッフの指導の下にやっていた.当時はまだ電子化の前であったが,入院歴や現症,退院時サマリー,手術記録などはすべてカーボンコピーが作成され,担当者全員に送られてきた.これは記録を大切にする米国流のやり方で,感心させられた.帰国後のわが国では,記録を大切にする気風は当時それほど強くはなかったが,カンファレンスの時に手術のスケッチや病歴を記載し,自分のファイルとして残しておいたことがその後の活動に役立った.またカメラ好きであったことが幸いして,多くの経験症例のkey filmを残すことができ,これが学会発表や論文作成に役立った.これらの記録を疾患ごとにファイルして自分の机の横に置き,いろいろな角度から症例解析を行い,論文を書くのが大きな楽しみとなった.またこれらの臨床例と関連した基礎実験を行い,自分たちの考えが妥当であることを学会や論文でわかってもらうことも大きな楽しみとなった.
その後45歳で名古屋に移ってからも,最初の4〜5年間はこの状態は変わらず,手術顕微鏡を見ながら全力で脳や脊髄の病変に対処し,脳神経外科医として至福の時間を過ごしていた.この当時,すなわち1990年代後半は脳動脈瘤の治療にコイル塞栓術が導入され,クリッピングとのすみ分けが議論された時代であり,私どもの教室でも必要なものはコイル塞栓術で治療していたが,クリッピングも数多く経験した.また,頚動脈狭窄症,バイパス手術,悪性脳腫瘍,頭蓋底腫瘍,神経減圧術,脊椎・脊髄疾患なども数多く経験し,若い人々と一緒にバラエティに富んだ手術を行った.特に施設の責任者としては,若い医師を一流の脳神経外科医に育てる義務も負っていたので,いかに若い人々に手術に積極的に参加してもらうか腐心していた.気取った言い方をすれば,医師となって最初の25年間は,いわば匠の世界に生きていて,患者さんの病変に対し脳神経外科医としていかに最善を尽くすことができるかに全力を傾けていた.
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