扉
啐啄同時
松本 圭蔵
1
1徳島大学脳神経外科
pp.1123-1124
発行日 1976年12月10日
Published Date 1976/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200545
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研究でも事業でも物事が進歩し発展するためには,そのためのいろいろな要素がうまくかみあう必要がある.それは事の大小,種類を問わないと思う.良き師は良き弟子をえて,すぐれた着想はそれを実現する研究者の努力と研究成果とともに,それを理解し,評価できる人々をえて,はじめて世に出ることとなる.
碧巌録に「啐啄同時(そつたくどうじ)」という言葉がある.峰は鳥の卵がかえるとき雛が内から吸ったりつついたりすることをいい,啄は親鳥が外からつつくことを言う.禅宗では師家(先生)が修行僧の機の熟したのをみて,悟りの動機を与えることを言っている.不得意の手術を苦心しながら幾度か行い困っているとき,その手術の名手から一言助言をもらっただけで,それからは気持よくうまく行えるようになったという経験をもつ人は,私ばかりではないと思う.啐啄同時とはもともとは宗教的なものではなくて中国の民間でいわれていた諺のようである.要するに,目的を一にする両者が機をえて相応ずるとき飛躍的な前進のエネルギーが生まれることを言っているのであろう.
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