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ある発展途上国の地方都市が突然強い地震に見舞われ,数多くの民家が倒壊し,数知れない死者と負傷者が病院に運ばれた.その病院の隣のホテルには,休暇を利用してその地方を訪れていた日本の国立病院に勤める若い脳神経外科医がいた.彼は手の足りない病院の現状を見かねて手伝いを買って出,負傷者の治療に奔走した.昼夜不休の治療により彼は言葉の通じない多くの異国の民を救った後,予定より3日遅れて帰国の途についた.彼の心には医師免許証をとって初めて独力で人の命を救ったという満足感があった.しかし帰国後彼を待ち受けていたものは思いもよらない仕打ちであった.他国の地方都市の地震災害はほとんど日本には報道されていなかった.また通信が一時途絶し,治療に奔走していた彼には休暇の延長を連絡する余裕はなかったために無断欠勤の烙印を押されていた.何故救助要請の書類ももらわないのに参加したのか.あるいは現地の病院の出勤証明書をなぜもらってこなかったのかと人事課の役人に質問され,遊んでいたのではないかという疑いがかけられた.命を救うことよりも自分の正当性を証明するほうが大切なのか?そんな証明書を発行できる余裕などあったろうか?彼は火事場を見たことのない役人達の態度に絶望し国立病院を去った.後日現地の病院から感謝の手紙が届いたが,それを役人に見せる気持ちも起きなかった.
国立施設に勤務する医師は多かれ少なかれそのような経験をしていることと思う.本号の「扉」を書かれた宮本先生の気持ちは痛いほど理解できる.一見立派な計画書と報告書が重要視されるのは管理社会日本の特徴でもある.筆記されたものでなければ他人が評価することが困難だからである.しかしそれを評価する者が現実を知らない者であろうとなかろうとあまり重要視しないのも日本の特徴である.医療のような複雑多岐にわたる分野を管理するにはその専門分野の評価者の選択が最も重要である.しかるにその専門である学会の意見をあまり取り入れようとせず,官僚の狭い知人の中から評価者を選択しようとすることは現実的によく行われているが,これは裁判官がよく実情を知らない友人から意見を聞いて判決を下すことに等しい.冒頭にあげた若者のように,実情を知らぬ者が的はずれの評価をすれば,せっかくの心意気は挫折してしまうのである.
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