追悼
故楢原憲章先生追悼の辞
池上 奎一
1
1熊本大学
pp.749
発行日 1970年8月20日
Published Date 1970/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200983
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昭和45年6月5日未明,楢原先生には熊大附属病院第一内科病室において,御家族や門下生の見守る中,静かに永眠された。昨年3月停年退官後は,熊本市立市民病院院長として活躍されていた先生が,身体の不和を洩らされるようになつたのは夏の頃からであつたが,持前の我慢強さと責任感から休息もとられず,ついに11月初旬胃出血に斃れ,胃切除術を受けられた。術後経過は順調で,再び元気を回復されたかにみえたが,切除標本の組織学的所見は癌であり,それを知る少数の1人として,心痛遣る方なかつた。本年4月の日本泌尿器科学会総会には,切符から宿舎まで用意されたのであつたが,出発直前より病の床に臥され,再び起き上ることがなかつた。
先生は昭和3年熊本医科大学を卒業,皮膚科泌尿器科教室に入り,故三宅勇教授ならびに当時助教授の北村包彦先生に師事され,昭和11年北村先生の後任として助教授に就任,主として泌尿器科学を分担,昭和14年4月第39回日本泌尿器科学会総会において,宿題報告「腎臓病変の全身的影響」を発表するなど,数々の輝かしい業績を遺されるとともに,今日の熊大泌尿器科教室の礎石を築かれた。昭和24年教授に昇任,皮膚科泌尿器科教室の第2代主任となるや,皮膚科と泌尿器科の分離,独立を目指して教室の充実を計り,昭和36年7月1日両講座の分離が実現した後は,泌尿器科教室の初代主任として教室の建設に努力を傾けられた。
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