鏡下咡語
明治新政府はなぜドイツ医学を導入することにしたのか
加我 君孝
1
1東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室
pp.738-740
発行日 2005年9月20日
Published Date 2005/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411100191
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1.はじめに
江戸時代は,西洋医学といえば蘭学(オランダ医学)であった。明治になって,なぜドイツ医学になったのであろうか。私も不思議に思っていた。
昨年の6月にミュンヘンでミュンヘン大学医学部と東京大学医学部との教育と研究のために国際交流セミナーがあり,敬意を表するつもりで,明治政府がドイツから教師を招いて新しい近代西洋医学教育をスタートさせたことを話した。思いがけず反応があった。昨年の12月に,ドイツのウルツブルグとフルダで同様のテーマで講演を依頼されたので,1600年,長崎にオランダの船のLove(リーフデ)号が到着したときからの西洋医学の伝来について話をすべく調べ,準備をした。調べれば調べるほど,明治以前のはるか昔よりドイツとのつながりが少なからずあり,それが明治新政府がドイツ医学を導入すべく方針を急遽変えたことがわかった。
しかし,その方向の転換は簡単ではなかった。歴史的なドラマに富んでいる。小生も大学では医学部はドイツ語を選んだが,その背景を今頃になって初めて知った。近代医学を新たに学ぶのに“まるごとドイツ医学”を輸入したのは日本だけであった。
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