綜説
臺灣紀行
中村 康
1
1日本醫科大學
pp.552,553-558
発行日 1953年10月15日
Published Date 1953/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201596
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本年の正月呉基福博士が歐米留學の帰途東京に立寄られて「一度臺灣に來て下さい」と述べて行かれたがこんなにも早く臺灣行きが實現されるとは思つて居なかつた。2月末臺灣醫擧會理事長杜聰明博士の招請状を受け呉博士から何時頃渡臺するかとの書面で「5月末なら1週間位の暇が出來るから講演に伺いませう」と返事をしたところ臺灣全島を偏歴するんだとの事で1ヶ月を豫定して欲しいとの再度の手紙を受けとつたのである。其處で病院の都合や私の研究の豫定を色々工面して6月一杯を臺灣で暮そうと決心したのであつた。處が愈々臺灣に出掛けてみると診を求める患者は多いし各地の講演も仲々素通りではすまされなくなつて到頭ビザ10日間の延長が「患者が多く診察り切れない」との理山で許可される始末。7月初旬にやつと日本へ帰つて來ることが出來た。
5月30日夜11時CAT航空會社の四發飛行機に乘し12時星の輝く空に向つて舞ひあがつたが,初め眼下に東京都内の赤,青に點減するネオンの光りにうづまる美しさを稱しつゝ伊豆半島もやがて過ぎた頃眠りについたのであつた。飛行機に乘つた初めは何となく不安を感じ,何時落ちるんだろうかと落ちつかない心持ちであつたが時間を過ぎると共に汽車よりも動揺がなくプロペラの音も會話をするのに何の障碍とならない程靜かなのを知つて室だけに目をうつして居れば平地に止る一つの建物の一室に過ぎない錯覺にとらはれるのであつた。
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