銀海餘滴
日本眼科醫會の誕生
瀨木 本立
1
1愛知縣眼科醫會
pp.16
発行日 1952年1月15日
Published Date 1952/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410201035
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10月28日,あいにく東京は朝からの雨ふりで,全國各地よりの眼科の先生方がぬれながら駿河台の日本醫師會館に集りました。東京の人はゆつくり,地方の者は早く,それでも黒澤さん中泉さんはじめ,主催地の世話役はずつと早く,赤いリボンに白の名ふだをつけて,階段を上つたり下りたり,用意萬端とどこほりなく,2時半,7,80名ばかり揃つたところで會は開かれました。司會者は三田博士,座長選擧は拍手の中に黒澤準備委員長ときまり,中泉博士の經過報告,次で議題,會則審議に入りました。會則はすでに地方に送られ,愛知縣でも役員の一部にお目にかけたものとほぼ同じで,眞面目な文句を綴つた23條より成つています,小暮(東京)博士の一読の後逐條審議致しまして,會名は日本眼科醫會と致しました。いつも創立總會でもめる所は役員と會費ときまつているようであります。今度も會費1人1ケ年金百圓が討論の對稱となりました。これは全く無理からぬことで,日夜苦しい診療にあたる身から言えば,目に見えない會が出來たから出資がおこつたことは,まことに痛手でありますが,又一方押しせまりつつある眼科醫の社會的經濟的立場をまもる新しい會の仕事の重大性から言えば,相當豐富な資金を中央に與えておかなければ全く無意義なことになり,而かも原案の百圓では通信費もあやぶまれるので,出席者の多くははげしいヂレンマにおちいりました。
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