思い出の写真
私の履歴書から
水野 重光
1,2
1順天堂大学
2国際親善総合病院
pp.700-701
発行日 1986年9月10日
Published Date 1986/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409207456
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大阪市京町堀で開業していた叔父の奨めで医学を志し,旧制二高を経て東大医学部に入学した,専門は始めから決めていたわけではなく,卒業前に学内教室入局委員の説明を聞いて選び,昭和6年1月に磐瀬雄一教授の主宰する産婦人科教室に入局した。入局の際内職は一切まかりならぬと橋本矢一医局長から言われた。
勤務は五つに分かれ,2〜3ヵ月毎に担当交代があったが,入局最初の勤務場所は分娩室で、1日に8〜10も分娩のある時代である,ハウプト・ネーベンが一組となり,3日に一度の24時間勤務である。私は加来道隆先生のネーベンになった。産婦人科臨床の実際を学ぶ最初の指導昔であった点で印象が深いが,加来先生は臨床に研究に,常に真摯な態度で望まれる努力家なので.分娩経過の観察,適応決定の判断,手技等に教えられること多く,お陰で医師としての基礎づくりにおいて有意義な第一歩を経験させていただいた。
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