PROPOSAL
学会所感二,三—国際産婦人科連合第4回世界総会に出席して
九嶋 勝司
1
1東北大
pp.50-51
発行日 1965年1月10日
Published Date 1965/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409203199
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アルゼンチン政情不安などを理由に,第4回世界大会が果して開催可能であろうかと懸念するものもあったが,いざ蓋をあけて見ると仲々立派な出来栄えで,ウィーンの第3回大会に優るとも劣らぬものであつた。ただ,開会式をブェノスアイレスでやり,学会を400km南のマル・デル・プラタでやった計画には些か驚かされた。案内書で読んでいる間はそれほどにも感んぜられなかったが,いざ移動して見ると大変な距離であることを知らされた。汽車の便は悪く,飛行機は飛んだり,飛ばなかったりという状態なので,23台のバスに分乗して大移動を行なつた訳であるが,これが如何に大変なことであったかは,合着服では震えあがるような寒い夜の10時半頃,見も知らぬ土地に降ろされ,宿を探さねばならなかった時の光景を想像されただけでも大凡の見当がつかれることと思う。大統領の出席をうるためにブェノスアイレスでゃる必要があつたら,学会も同じ土地でやつたらよかりそうなものである。広大な土地に住み,100km,200kmをとばすのは日常茶飯事としている感覚で,今回の計画を樹てたのだろうが400kmの移動にはアルゼソチン在住者も驚いていたようであった。
学会中,各国の人々から「次は東京に決まつた」と話されるが,理事でない筆者には「そんなはずがない」と思いつつも,幾人にもいわれると「日本の意志に関係なく,決めて仕舞つたのだろうか。誰を会長にしたろうか。
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