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以前に親しい英国人の神経生理学者から,Japanese are too methodological.という言葉を聞かされた.彼のもとに1〜2年間留学して,臨床神経生理学に関連した研究を行った若い日本人を指導して感じたことだと言うことであった.これは,あまりにも方法論のみを追いかける姿勢を批判した表現であったと理解している.さまざまな手段を用いて新しい生体現象を導き出そうとするあまりに,手法を見出すことが目的になってしまったことを指摘したのであろう.留学生達は期間が限られていたことから,さらにそういった傾向に拍車がかかったと考えるが,既にこの欄でも多くの先達によって指摘されているように,最近の整形外科領域の研究においてもこの傾向が一段と強いように思える.すなわち,すばらしいテクノロジーの発達に伴い,極めて優れた機器や新しい手法が開発され,生体の複雑な構造や機能を定性的,定量的に観察することが可能となって来たのであるが,それらを利用した観察をあたかも実験的研究と錯覚している報告が少なくない.ある現象を観察すること,あるいはそれを行い得たということが,重要な意味を持つと評価するあまりにその現象を生み出している生体の複雑さに挑戦することをなおざりにする傾向になっているのではないだろうか.
研究は改めて強調するまでもなく観察に始まり推理,分析を行い,さらに帰納と実証を繰り返して発展する.すなわち我々は注意深く生体を観察するばかりでなく,時にはある条件を加え,惹起された現象をさまざまな機器や新しい手法という媒体を介して観察し,分析を行うわけであるが,そこにまた多くの陥穽が生じ得る.その1例として現在われわれの手にある各種の測定機器にも個性があり,たとえ正常に機能しており操作が間違っていなくとも極めて微妙ではあるが測定結果に差異が存在し得ることが上げられる.実例を示そう.製作者が異なる生体用増幅器を数台用意し,同じ周波数帯域など条件を一定として,同一個体より,ある誘発電位を記録したとする.このときに記録される電位は,発生源は同一であるにもかかわらず,微妙な点で一致しないことがしばしばあり,この傾向はその電位が微小な多くの電位で構成される場合に一層著明になる.その理由は,測定器の電気的特性の規定に多少の幅が許容されていることによるのであるが,もし,そのような差が発生し得ることを認識していなければ,その微妙な差に惑わされてしまうことになる.これと同じ様なことは,ほとんど全ての分野の測定機器にあてはめられることであろうと考える.すなわち,機器あるいは手段を過信し,絶対視してはならないのであって,常に疑いと厳しい批判の目でもって得られたデータを分析する心構えを忘れてはならない.基本となる事実を確認するためには常に第三者的冷徹さをもって行い,それに立脚した思考の展開を大胆に行うべきであろう.
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