視座
郭沫若から聞いた話
天児 民和
1,2
1九州大学
2九州労災病院
pp.7
発行日 1970年1月25日
Published Date 1970/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904349
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10年位前の話である.中国に革命が起こり,その混乱が落着いたころ中華人民共和国科学院総裁をしていた郭沫若が日本に来た.郭沫若は文化大革命以来表面に現われなくなつたが,彼は若くして日本に留学した.岡山の第六高等学校を経て九大医学部に学んだ.そのころからロマン主義文学を推進し,帰国後1925年軍閥に対抗した北伐軍に参加したが革命軍の分裂により失敗して日本に亡命した.そして10年間機会を待つていたが,日中戦争が起こるやひそかに日本を脱出して中共軍に参加し,中国の革命に大きな力となったことは読者諸兄も御存じのとおりである.その郭沫若一行が福岡をも訪ねてきた.ちようど私はそのころ医学部長をしていて医学教育,とくに臨床教育の改革をしていたので彼から中共の医学教育について尋ねてみたいと思い,それを楽しみにして彼の到着を待つた.彼の友人やわれわれと一緒になつて博多の料亭で歓迎会を催した.彼も学生時代の思い出に浸り,すつかりくつろいでわれわれと愉快に話し会つた,私が日本では今医学教育をどのように改革するか悩んでいるが,新しい中共ではどのようにして医学教育をしているかと質問したのに対し,郭沫若の返答はまつたく意外であった.
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