視座
外国語の使用
岩原 寅猪
1
1国立村山療養所
pp.89
発行日 1969年2月25日
Published Date 1969/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408904034
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一部の例外はあろうが,われわれ日本人の,とくに医者の外国語の力は底がしれている.終戦後まだだいぶ早い時期のことであつた,やつとごく一部の人,それも公用を帯びた人だけが外国へ,それも主にアメリカへ行けた時分のことである.さる大学の名総長がアメリカへ行つて講演をしたそうである.もちろん,名調子の英語でである.ところがどうだろう,新聞記者とかが二世か三世かの日系アメリカ人をつかまえて,ただいまの話は,あれは日本語かと尋ねたそうで,その日系アメリカ人は答に窮したそうである.それは陰口であり,悪口であろう.がとにかく,われわれ日本人の外国語は件のごとくである.
われわれはドイツ語で医学を教わつた.学部四年間に用いた教材書はほとんどすべてドイツの本であつた.いや応なしにドイツ語と親しまされた.しかし,それでも,わたくしなどはさつぱり駄目で,読むことは少々できても書くことも話すこともできない.あえて,ひと様もそうとはいわないが,五十歩百歩であつて,少なくとも自由自在という人はあつてもそれはむしろ稀れである.文章に間違い無く,発音に間違いなく,語調にまちがいなくというわけにはなかなかゆくまい.
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