整骨放談
いつまでも小者ではない
岩原 寅猪
1
1慶大医学部整形外科教室
pp.102
発行日 1966年4月25日
Published Date 1966/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408903730
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昭和のはじめわれわれが整形外科学会にはせ参じた時分には総会の会衆がせいぜい200から300,いまの東京地方会にもたりない.しかも会期は2日,1人で3つも演題を出したものである.その当時はクライネファッハであつただろう.内科,外科,産婦人科には及びもつかなかつた.クライネファッハ,小者扱いでわれわれも観念していたものである.
しかし,いまは違う.学会は3,000余の会員を容し,われわれは90余の教室員をかかえている.慶大病院整形外科では毎年12,000余の患者を受け付け,外科よりもはるかに多く,110のベットを動かし,しかも待機患者は院内第一である.われわれの関係病院47の中で入院ベット80を超すものが5つ以上あり,入院患者100を数えて内科を抜いているところもある,これでも整形外科はクライネファッハ,小者であろうか.
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