ついである記・60
Bohemia
山室 隆夫
1,2
1京都大学
2生産開発科学研究所
pp.1050-1052
発行日 2001年9月25日
Published Date 2001/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408903363
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●ボヘミアの友人
チェコ共和国は私が好きな国の一つである.私と家内は今までに4回この国を訪ねたことがあるが,いつもプラハのカレル大学のマテヨウスキー教授一家が揃って私達を空港へ出迎えて下さった.マテヨウスキー教授はかつて骨腫瘍の手術で先駆的な業績をあげた人で,物静かな人柄であるが,英・独・仏語を母国語のように自由に喋る文化人でもある.その息子も骨軟部悪性腫瘍に対する治療法を専門に研究している整形外科医で,腫瘍関連の国際学会では今もよく出会う.マテヨウスキー夫人はかつて外国大使館の仕事を長らくやっていた人で,華やかで,とても明るい積極的な性格の持ち主であった.どういう訳か,夫人はチェコでは珍しい佛教徒で,佛陀に深く帰依していた.3人とも何度か来日したことがあるが,夫人は来日すると必ず奈良や高野山の寺々へ参詣し,佛像を拝むことを無上の喜びとしていたようであった.あるときは,京都から一人で奈良へ出かけ,夕食パーティーの時刻になっても帰ってこないので,教授が青くなって心配したことがあった.「奈良の夕暮れの雰囲気に魅せられて帰る気にはとてもなれなかった」と言って,遅くなってから夫人が晴ればれとした笑顔を見せて帰ってきたときには,教授も私達も安堵を通り越して聊か呆れた気持ちになったことを想い出す.
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