整形外科を育てた人達 第128回
Clarence Henry Heyman(1891-1964)
天児 民和
1
1九州大学
pp.912-913
発行日 1994年8月25日
Published Date 1994/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408901425
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米国の整形外科の指導者のClarence Heymanが1964年5月29日に亡くなったために米国の整形外科医達は悲しんだ.
Clarence Heymanは米国のOhio州のPayneで1891年に生まれた.最初の教育はOhioのTiffinにあったHeidelberg大学で受けた.この大学は米国でドイツの有力な大学を真似て設立したもので,長くは存続しなかったと思われる.この学校でBSの学位を受けたのが1911年のことであった.当時米国で最も整備されたHarvard Medical Schoolに入学し,よく勉強をして1916年にはMDの学位を授けられた.知識欲の強いHeymanはHuntigton Memorial Hospitalで癌治療に対するradium利用の研修をした.新しい医学の進歩に関心を持っており,BostonのCity Hospitalにいた1918年,最初の論文をBoston Medical and Surgical Journalに発表した.これはanthraxの治療の論文であった.その後米国軍の病院で働いた(1918-1919).この期間にRoyal Whitmanの指導をうけ,New YorkのHospital for Special Surgeryで働いた.
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