視座
「鬼手仏心」について
赤木 將男
1
1近畿大学医学部附属病院整形外科
pp.105-106
発行日 2010年2月25日
Published Date 2010/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408101670
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多くの外科医は「鬼手仏心」という言葉をどこかで耳にしたことがあろう.座右の銘として紹介されたり,あるいは診察室の壁に額装された書として掛けられたりしているのに気づくことがある.私の場合は,卒後2,3年目の臨床研修を送った京都市立病院整形外科部長(後に同病院院長)の森英吾先生にこの言葉を教えていただいた.前期臨床研修が終了し,これから執刀医として地方の医療機関に赴任する若い医師に,恩師は「鬼手仏心」と自書された革製ケースに持針器を納め,送別会の席でこれを手渡して私達を送り出したのである.その際,言葉の意味を簡単に説明される.「外科医は鬼のようにメスで患者を切るわけだが,その背景には仏のように慈悲深い心がなければならない」「持針器は自分が切った部位を罪償いの気持ちをもって縫合するよう差し上げる」と.手術手技の修練に日々務めるよう激励するとともに,功名心にはやる若い外科医を諫め,医師としての基本的な心構えを諭す親心で,この言葉を伝えられたのだろうと思う.たものでなければ,到底医療行為と言える代物ではない.このように「鬼手仏心」は医療の本質に触れた言葉で興味深い.
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