連載 整形外科と蘭學・22
辛島正庵と種痘
川嶌 眞人
1
Mahito Kawashima
1
1川嶌整形外科病院
pp.352-355
発行日 2008年4月25日
Published Date 2008/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408101265
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■はじめに
昭和53(1978)年,獨協医科大学の星野孝教授(当時)を初代会長として,日本骨・関節感染症研究会が発足し,筆者も第10回を中津市で開催させていただいた.以来研究会も次第に発展し,今日では学会となり,若手の医師たちも感染症が整形外科領域においても大きな課題の一つであることに関心を持ち始めている.折りしも近年ではSARSをはじめ,高病原性鳥インフルエンザなどの感染症が世界的な拡大を起こしており,パンデミックがいずれ日本にも及ぶことが危惧されている.1918年にスペインかぜが大流行したときでは,日本においても死者38~45万人であったといわれている.新型インフルエンザがパンデミックに至れば日本でも60~210万人の死者が出ることが予想されている.
医学・医療の発展した今日ですら感染症は解決困難な課題の一つであるが,予防法や治療法が確立されていなかった時代の痘瘡(天然痘)は有史以来,人類に多大の恐怖と惨禍を与え続けてきた.痘瘡に関しては1796年,イギリスのエドワード・ジェンナー(1749~1843)による牛痘接種によって,ようやくその災厄から脱出する可能性が見出されてきた.WHO(世界保健機関)は1966年,天然痘根絶計画の強化を提案し,総額1億ドルを投じて根絶計画十カ年計画を発足させ,1979年10月26日,痘瘡根絶を宣言した.
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