患者と私
やあ貴方でしたか
秋谷 良男
1
1神奈川県立成人病センター
pp.540-541
発行日 1967年4月20日
Published Date 1967/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407204286
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朝刊を見ていると司馬遼太郎氏が菊池寛賞を受けるとある.彼が小説を物するには多くの文献をあさる.史料の中に1回しか出て来ない人物がいくらでもいる.それが1年もして別の史料で見つかると飛び上る「その喜びはなにものにもかえがたい.その人物が私の机のそばにグーツと寄つて来たようで感動を覚えます」といつている.正にそうであろう,しかし医師と患者と,それも久し振りで面会したときは少し異う.特に私は他人の顔と名と関連して覚えることは天才的に不得手である.医師が客商売だとなれば,第一資格に落第である.いつか会つた人,何処かで見た人,話したことのある人,誰かその名が思い出せない.他の教室の医員,インターン,学生の区別さえも時には判然としない,だから会話の初めに充分警戒をする.どのようなつなかりがあるか,記憶の綱がどこかで切れて,その先が探り出せない.家に帰つたらその女人が女房であつたとなれば落語の落ちにふさわしいが,かなりそれに近いことに出会すことが稀でない.だから会話の最初のうちに思い切つて相手の身分姓名,私とのつながりを聞いて置けば問題にならないのだが,話が進行してしばらくして,貴方はどなたですかとは今さら言い出せない.そのチャンスを狙つているが,終りまで聞き出せない,言い出せない,思い出せないで,帰途家の近くで町内の魚屋の主人であつたことに思いつき,ある環境においての記憶は,同一環境にもつてきて目覚めることがあるのた気付く.
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