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此度第12回日本脳神経外科学会が名古屋に於いて開催されるに当りまして不肖橋本が会長の重責を頂きましたことは私にとりましては真に過分の光栄でありまして感激の至りであります。之は全く私の恩師であり当名古屋大学第1外科教室の初代主任としての故斎藤真教授の本会並に日本の脳神経外科方面への多大なる功績と其の開拓者として万人が認められる事実が,偶々昨年末当大学に徳島大学より転任して参つた私に対し先輩並に会員各位が之を御認容下さつたものでありまして,真に謝恩の念に堪えないのであります。先に本会開催に当りまして会員各位より特別課題としての御希望を集めました所,昨日のシンポジウムとしての「脳外傷」並に「脳腫瘍」が其の選に当りましたので茲に真に潜越とは存じましたが貴重な時間を数十分拜借しまして其の道に一生の大半を盡され,今は亡き名古屋の生んだ故斎藤真教授並に紺野義重博士の「脳腫瘍に関する業績を偲びて」と云う演題のもとに暫く思い出に耽つて見たいと思うのであります。其の業績は既に皆様も学会其の他雑誌等によつて十分御承知の事とは存じますが,特に本会が此度両故人にとりましては最も由緒深い名古屋で開催される事になりましたので,之を記念致すと共に私にとりましては恩師としての斎藤教授,同級生としての紺野博士の靈に対し報恩の意味をもちまして会長の責務に於いて会員各位と共に冥福を祈りたいと思うのであります。斯うした心持ちになりましたのも両故人の学勲の勝れておられた事は勿論でありますが,一方斎藤教授は昭和25年1月2日,忽然として他界せられ,又紺野博士は終戦に続いて突然病魔の襲う所となり,昭和27年8月24日,博士の標本が人知れず遠い山間に疎開されたまま逝去され,其れに加え名古屋大学の受けた戦災の禍によりまして両故人の貴重なる業績は其の後支離滅々全く未整理の状態になつて了つたのであります。私共門下生は其の現状を放置致すことに忍びず,茲に病理学教室,牛島講師其の他各位の御協力を得まして之を取り纒め,其の業績を被歴して故きを温ね,新しきを知り,将来への指針に致し度いと念願したのであります。其の大要は別室に展示しておきましたので御覧願えれば幸いと存じます。
斎藤教授は明治22年6月14日,宮城県志田郡敷王村に出生せられ,第二高等学校を経て,大正4年12月15日,東京帝国大学医科大学を卒業され,半年しての大正5年6月31日,東大近藤外科より本学の前身愛知県立医学専門学校の講師として赴任されたのであります。其の後35年間実に明昕な頭脳,偉大なる精力,そして撓まざる指導力を以て,明朗快活に500余名の門下生を指導せられたのであります。先生の最初の御研究は近藤外科に於いてなされた「アロカイン」Sに就いての生物学的研究でありましたが,其の後先生の業績は枚挙に暇がなく全く外科学の広汎に亘つてなされたものであります。然し何と申しましても先生の生涯の内の大きな部分は脳外科の研究に割かれたのでありまして,其の始めは日本に於ける脳外科は先生の独り舞台であつたと申しても過言ではないと思うのであります。
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