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Prof. Dr. med. Klaus Heinkel(4.2.1921-21.7.1982).Prof. Henningの高弟として,また世界消化器病学会,内視鏡学会の重鎮としてあまねくその名を知られた人である.そして,日本を,日本人をこよなく愛した人だった.Heinkel教授の訃報がもたらされたのは昨年7月末のことである.教授との初めての出会いからその死までの10年間,折にふれてはStuttgartを訪ね,その温厚な人柄のなかに隠された仕事に対する厳しい闘志に魅せられ続けてきた一人として,私はここに教授を偲ぶ一文を綴り,追悼の言葉にしたいと思う,
“Heinkel倒る.再起不能か”との知らせが届いたのは1981年3月も末のことだった.それから2カ月後,私は偶然にもAntwerpで教授と再会した.13th International Congress on Stomach Diseaseの会場,しかも幸いなことに教授と私は同じシンポジウムに招かれていた.一見して病み上がりとわかる姿の教授は私と顔を合わせるなり,“おまえはきっとここに来ると思っていたよ.会えて本当によかった”と何度も繰り返すのだった.このとき,いつもとは違う教授の雰囲気に接した私は,“この人と共に過ごせる時間はそう長くはあるまい.”との予感に何とも言いようのない淋しさを感じたことを,今思い出している.夫人とのちょっとした口論の最中,腹部に激痛を感じたのが病気の発端だったこと,それが腹部大動脈瘤とわかり,破裂の寸前に手術を受けたこと,など教授は静かに淡々と語るのだった.そして最後に,“手術を受けるときになって,自分は神に祈ることなどしなかったよ.必ず生きて還えるという強固な意志,それは宗教を越えたものだからだ.”とつぶやいた教授の言葉の中に,この人がそれまで背負ってきた哀しみを視たような気がした.
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