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大学教授を定年退任する時に多くは最終講義というものを行う慣習があるようだ。私もこの3月で退任することになったので,去る1月末,他科の退任教授と一緒に大学の講堂で学生や教職員を前に最終講義をした。昨年の秋,大学の教学部から最終講義のテーマについて問い合せがあった時,何にしようかと迷ったが,結局「精神医学の光と影」とすることにした。最終講義は本人が長い間積み重ねたライフワークについて話したり,歩んできた道程を振り返ったりするのが通例のようで,同じ時期に退任する内科の教授はライフワークの消化器病学の話をしたし,麻酔科の教授は母校における活動の足跡を中心に話をした。私にはこれといったライフワークもないし,大学への貢献も少ないので,この種の話はできないと思ったが,それよりも,学生に語りかけることのできる最後の機会に,もう一度精神障害者がその歴史の中でどのような治療と処遇とを受けてきたか,これからどのような道が開けるのだろうか,その光の部分と影の部分とを示すことによって,ともすれば偏ってみられがちな精神科疾患に対して正しい認識を持ってもらうようにしたいという気持が強かった。しかし,ややロマンティックな印象を与えるこのテーマは,当然かもしれないが,大学側にはすぐに理解できなかったようで,司会役の教授からもどういう意味かと何度か尋ねられた。
話の始めに精神科治療の光と影を表す象徴的な事件として,マラリアによる発熱療法の発見でノーベル賞を受けたウィーンのJ. Wagner von Jaureggが進行麻痺の患者から人工的にマラリア血を採取している絵を呈示した。この絵は後年,反精神医学関係の著書の中で精神医学の非人道性の例として引用されているとのことであるが,当時,確実に悲惨な死を意味した進行麻痺患者を救うにはこの方法以外にはなく,これによって死を免れ,ある程度社会復帰が可能となった人々がいたことも事実であると話した。
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