書評
—青木省三,村上伸治,鷲田健二 編—大人のトラウマを診るということ—こころの病の背景にある傷みに気づく
小林 桜児
1
1神奈川県立精神医療センター
pp.1205
発行日 2023年8月15日
Published Date 2023/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405207064
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「トラウマ」という用語は,ある種のリトマス試験紙である。精神科や臨床心理に従事している者は,その用語に対する反応によって2種類に大別される。精神症状を遺伝負因や神経伝達物質の異常から説明することを好む臨床家は,トラウマと聞くと「あまり触ってはならないパンドラの箱」といった苦手意識を感じるか,あるいは「自己責任を取らずに何でも周囲の人や環境のせいにするための口実」,などといった嫌悪感を隠し切れないかもしれない。他方,精神分析や力動的精神医学の影響を受けた臨床家は「トラウマ」を幅広く解釈し,診断や治療上不可欠な要素,と主張するであろう。
かくもトラウマという用語は,人間に対極的な反応を引き起こす。女性の性的トラウマから研究を始めたはずのFreud自身,やがてトラウマ体験は本人の空想,と解釈するに至った。第一次世界大戦中に戦争神経症を発症した兵士たちは臆病者とみなされ,イギリスの精神科医Lewis Yeallandは電気ショックで治療しようとした。トラウマ体験が心の病を引き起こすことを私たちが認めることが難しい理由の一つは,それを認めてしまうと,患者は「炭鉱のカナリア」に過ぎず,患者を取り巻く他者が,社会が,つまりはその社会に属する私たち一人ひとりが変わらなければならない,という現実と向き合うことになってしまうからではないだろうか。
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