巻頭言
外傷神経症と賠償
原田 憲一
1
1信州大学神経精神科
pp.927
発行日 1973年9月15日
Published Date 1973/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202074
- 有料閲覧
- 文献概要
外傷神経症を学生にいかに講義したら今日最も現実的に正しいのか,去年随分考えさせられた。完全な器質説と完全な賠償願望説との両極端をはじめとして,多くの先人の所説を示してすますことはできる。しかし私自身はそれをどう考えているのかが自分にはっきりしていないから,苦しみ考えさせられたのである。この問題が私自身に納得的に解決していないため,たとえば外来で賠償問題のからんだ自動車事故後の外傷神経症者と相対する時,私の中に強い不安をいつもひきおこしていた。
そもそも外傷神経症をめぐってわれわれが悩まされるのは,その時われわれが「治療的努力の場」にではなくて,「鑑定」という作業についているからである(森山:精神医療No 5,75頁,1971)。それはその通りであって,外傷神経症の場合においてもわれわれ医師の本来的な仕事は,治療であって鑑定でないのは自明である。患者自身も治してもらうことを一義的に望んでいるのである。しかし治らないから鑑定という夾雑物が生じてきてしまう。鑑定なしに治療的努力だけできる状況をほしいと思う。だが,鑑定をしないで治療だけをすることが不可能な場合がわれわれの身近には少なくない。鑑定をことわれば,その人との治療関係は切れてしまうにちがいない。治療するために,正しい鑑定が必要になる場合がある。
Copyright © 1973, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.