特集 呉秀三先生の生誕100年を記念して
シンポジウム「呉秀三と病院精神医学」
一般討論
菅 修
1
,
小池 清廉
2,3
,
滝山 米太郎
4
,
五十嵐 衡
5,6
,
諏訪 敬三郎
7
,
成田 茂
8
,
植松 正
9
,
西丸 四方
10
,
川上 武
11
1国立秩父学園
2びわこ学園
3京大精神科
4全国精神障害者家族連合会
5神経研究所
6晴和病院
7元国立国府台病
8鳥山病院社会復帰病棟
9一橋大学
10信州大学精神科
11杉並組合病院
pp.544-552
発行日 1965年6月15日
Published Date 1965/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200864
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
呉先生と救治会
救治会をとおして呉先生のお考えが,どのように具体化していつたかについて,少しつけ加えたいと思います。
救治会ができましたのは,先程お話がありましたように,明治35年で,呉先生が欧州からお帰りになつてからのことです。当時精神病者というものは,社会からも,家族からも見はなされたまつたくみじめなものでした。そこで,呉先生は,当時の大学教授夫人,たとえば,岡田和一郎夫人岡田徳子氏,三宅秀夫人三宅藤子氏,榊保三郎夫人榊実子氏,呉秀三夫人呉皆子氏,片山国嘉夫人片山亀子氏などを説いて,精神病者慈善救治会を組織されたわけであります。この名称は後に精神病者救治会となり,さらに救治会となりましたが,その理由については,後で申しあげます。
Copyright © 1965, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.