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Carl Wernicke(1848〜1904)
K. Goldstein
Wernickeは当時のドイツ領上部SilesiaのTarnowitzという小さな町の生まれである。Breslauで医学を修めてのち,そこでNeumanの助手となりさらにBerlinの慈善病院でWestphalの下に働いた。Neumanの助手をしていたときに,6ヵ月間だけViennaに行きMeynertについて勉強したが,後年Wernickeの教室の講堂の壁にはMeynertの肖像だけがただ1枚かけられており,またMeynertの名はWernickeの講義中によく出てくる数少ない人の名前の1つであつた。1878年から1885年までの間神経科の医者としてBerlinで開業していたが,その後Breslauの母校に助教授として招かれたので喜んでこれを受け,1890年に精神科の正教授になつた。その後何年かたつて(1904)同じ資格でHalleの大学に転じたが,そこにおちついてまもなくのころThuringenの森をサイクリング中に事故にあつて死亡してしまつた。
Wernickeは初めのうち解剖学を手がけていたが,Meynertの影響を強く受けている。彼の最初の研究業績は,大脳皮質の3つの原回転(“Urwindungen”)を区分したことである。続いてその当時の彼の若さからすれば驚異的な労作ともいうべぎ“Lehrbuch der Gehirnkrankheiten”3巻をものした。とくにおもしろいのは,彼がその中で後下小脳動脈の血栓症のさいにみられるはずの症状を,延髄の動脈分布に関する彼自身の解剖学的研究を基として推定していることである。この彼の推定は1895年Wallenbergによつて実証された。彼はまた球麻痺に随伴する稀有な症状として仮性眼球麻痺のおこることを予言した最初の人である。この症状をもつ患者は自分の意のままに眼球を動かしたり,視野の辺縁にある物体に眼を移したりすることはできないが,静かに動いている物体にはそれにつれてある程度眼を動かすことができる。したがつて本を読むときなど行に沿つてでたらめにやたら視線を動かしているうちに,その行全体の文句の意味をつかむことはできるのである。彼はまたこのLehrbuchの中で,いまや彼自身の名を冠せられている疾患,すなわち出血性上部灰白質炎の臨床症状を明らかにした。この病気の根本原因は血液脳髄関門の変化によつて血漿が脳実質内に浸出し,そのために脳の機能を損なうのだとわかつたのは,だいぶ後のことである。
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